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▪︎この度、京都市左京区北白川のギャラリー、ロンドクレアントにおきまして、写真家・野口さとこの

 写真展を開催いたします。野口さとこは、1999年よりポートレイトや風景写真を中心として活動

 している写真家ですが、本展ではその野口が5年間の歳月をかけてモデルとして起用、撮影し

 続けている人形"チャーリー"の写真約40点を展示します。

 

▪︎チャーリーとは、元々は腹話術の人形でしたが、ある日、お酒の懸賞として野口家に届けられ、

 そのまま野口家に居ついたという不思議な運命の人形なのです。しかし、そんなチャーリーの

 前では、どんな人もあっけなく笑顔になってしまいます。

 

▪︎本写真展は、奇妙で愛くるしい人形チャーリーが、のんびりと日本を旅してゆく過程で出会った

 人々との交流を描いた、心温まるドキュメントです。日本人的な感性に満ち溢れた人間と人形

 とのほのぼのとした関係性は、人々の遠い記憶を呼び覚ますのではないでしょうか。

  ” 不思議の国 ”から我々の世界にぶらりとやってきたチャーリーと、彼が出会った愉快な仲間

    たち、そして日本の四季の美しさを綴った、今回の作品展にご期待ください。

 

▪︎また、展示に合わせて製作した、私家版の写真集『Who is Charlie? 』も販売いたします。

 

 

 

 

野口さとこ写真展

『 Who is Charlie? 』

 

日時:2016年6月7日(火)〜6月12日(日)

    11:00開場/19:00閉場

 

会場:gallery rondokreanto(ロンドクレアント)

     606-8256 京都市左京区北白川伊織町40番地

     TEL: 075-286-7696

     http://rondokreanto.com

 

レセプションパーティ:2016年6月11日(土)

               17:00〜19:00

              お気軽にご参加下さい。

 

入場無料

 

Produced by Satoko Noguchi & Star Poets Gallery

Sponsored by Kayo Nishimoto

Satoko Noguchi HP: satokonoguchi.com

野口 さとこ プロフィール

      北海道小樽市生まれ。写真家島内写真事務所浩一郎氏に師事。石仏
     や人形など命の無いものに宿る"何か"を写すこと、日本特有の土俗
     や風習のミステリーを写すことをコンセプトに、制作を続けている。 
     2011年、ライフワークである「地蔵が見た夢」の発表と出版を機に
     アートフォトとして注目され、ART KYOTO 2012やTOKYO PHOTO 2012
     などアートフェアでも公開される。主な展覧会に、「Jizo dreams」
     新風館フォトグラフィ2013(京都国際写真フェスティバルKG+)、
     禅フォトギャラリーによる写真家井上青龍氏との企画展、mujikobo
     でのグループ展など多数の展覧会に出品。
     1999年《フジフォトサロン新人賞》部門賞受賞。
     2012年《紙技百藝2012》馬場伸彦(写真評論)審査員特別賞受賞。
     2014年より、移動写真教室”キラク写真講座”を主宰している。
     ポートレイト撮影を得意とし、表情を写す技術は評価が高い。
 
     これまで撮影した主な文化人・著名人:
      水木しげるさん(漫画家)
      荒俣宏さん(博物学者、図像学研究家、小説家、神秘学者、妖怪評論家、翻訳家)
      松岡正剛さん(編集者、著述家、日本文化研究者)
      横尾忠則さん(美術家)
      佐野史郎さん(俳優、映画監督)
      夢枕漠さん(小説家)
      雨宮慶太さん(映画監督)
      室井滋さん(俳優、エッセイスト)
      加門七海さん(小説家、エッセイスト)
      はなさん(タレント、ファッションモデル)
      花輪和一さん(漫画家)
      小松和彦さん(文化人類学者、民俗学者)

         田名網敬一さん(グラフィックデザイナー)

         

 

 

 

〜チャーリー展によせて〜

 

 

あなたにも子供の頃、大切にしていた人形やぬいぐるみがあったのではない

だろうか?

 

私にとってのそれは、可愛いパンダのぬいぐるみ、ランランだった。

いつでもどこに行くのも一緒で、当時の写真には、よく私の隣にランランが

ちょこんと座って写っている。

 

ランランは、いつしか繊維が硬くなり、白い毛はねずみ色に褪色し、耳や手

がもげそうになり、見かねた祖母が新しいパンダのぬいぐるみを買ってくれ

たりしたが、私は相変わらずクタクタになったランランを離さなかった。

 

ランランは何も言わないけれど、一緒にいるだけで安心できる大切な友達だ

った。

 

 

 

 

 

私がランランから卒業して、10年ほど経った頃のこと。

 

高校受験を控えたある夜、小樽の実家の酒屋で陳列された、一本のお酒の

トルの首に、応募ハガキがたれ下がっているのを見つけた。

そこには「チャーリー人形プレゼント♪」という文字と共に、大人なのか

供なのかわからない不思議な人形の絵が描かれていた。

 

私は何故かその絵に釘付けになり、こっそりその応募ハガキを何枚か抜き

って、ポストに走った。

 

 

程なくして、それは届いた。

 

私は嬉々として、すぐに包みを開けたのだが…。

 

 

ランランは、子供のあどけなさのあるつぶらな瞳のかわいい女の子だった

が、それに比べてチャーリーは、ペラペラな背広を着てギラギラな蝶ネク

タイを付け、決して目を合わせようとはしない不気味なおじさんだった。

 

私はとりあえずチャーリーを抱き、家族の前でぎこちなく腹話術をやっ

みせた。その時は、まぁまぁ盛り上がったのだが、ステージは一瞬のう

終わりを迎えた。

 

チャーリーは私が東京に引っ越す日まで、部屋の隅にあるタンスの上に

れ、私は生身の人間たちとの付き合いを楽しんでいった。

 

 

 

 

 

あれから、20年…。

2011年3月11日、東日本大震災を少し過ぎた頃。

 

 

当時、私は東京に住んでいて色々なことがあり、気落ちして、小樽の実

少しの間、帰省することにした。

 

東京のアパートを出る直前、何故か、それまでずっと置きっぱなしだった

リーと目が合った。

相変わらず、チャーリーには無関心なままでだったに、の時何故か、

がハッとして放っておけなくなってしまったのだ。

 

私は無造作にスーツケースにチャーリーを詰め込んで、空港へと向かった。

 

 

 

 

実家では、祖母と母が意外にもチャーリーを懐かしがって歓迎した。

 

そんなチャーリーを改めて見ると、服は20年間同じで、日に焼けて黄ばん

いる。何だか申し訳ない気持ちになって、祖母にチャーリーに服を作っ

て欲しいと頼んだ。

 

 

新しい服を身にまとったチャーリーはとても嬉しそうに見えた。

思わずカメラを向けた。

 

 

 

 

 

人生は予期せぬことで溢れているものだ。

 

 

 

それからのチャーリーは、まるで自発的に自分を開きながら世界と関わり

けている。

 

人々はチャーリーと会えばたちまち心を緩ませ、チャーリーと握手し、抱

こして、コミュニケーションを楽しんでいる。

 

私の中では、ただのおじさんの人形のはずだったのに…。

 

 

 

チャーリーは息をしていない、物も食べないしうんちもおしっこもしない。

わがままも言わなければ、自分から甘えてくることもない。

懸賞の賞品になったのも、私の元に来たのも、放っておかれたのも、写真

モデルになったのも、全てが受け身だった。

 

 

だが、そうだろうか?

私は首をかしげる。

 

もしかしたら、チャーリーはあちらの世界から私を操っていたのかもしれ

ない。

 

 

”もの”に魂が宿るのはいつなのだろうか。

 

それぞれにタイミングというものがあるのかもしれない。

チャーリーにとってはいつだったのだろうか。

 

人がたくさんの経験を経て、人格が形成されていくように、人形も時間と

験を積んで魂を磨いていくのかもしれない。

 

 

 

チャーリーとは一体、何者なのだろう?

 

そう思いながら、今日も私は、チャーリーとカメラを抱えて旅に出るので

ある。

 

 

 

 

 

チャーリーとは誰か。

 

チャーリーの手の鳴る方へ

    〜コミュニケーションのアートとしての実在〜

 

 

 

野口さとこの個展を主催した2003年、彼女の切り取る時間の奥行きには常に

傍観し、俯瞰し、カメラの向こう側へと何かを観察し続ける少女の姿があった。

距離感の必然をとらえたこちら側とあちら側。その隙間に立ちながらコミュニケ

ーションの瞬間をつなぐ記憶。

野口の写真にはクールな愛情がある。

 

 

ただ自然の美しさを写しただけではない花と蜂のおしゃべりが聞こえてくるよう

な瞬間、北欧の街の路上で、遊んでいるのか嘆いているのかわからない女の子。

パリのカフェのテーブル越しに微笑むロートレック風イラストの中の女と生き生

きと今を飲み込んでしまいそうなオレンジジュース。

 

“Suite féerique”というタイトルの個展だった。

当時、すでに彼女の現像の技術が結晶化したオリジナルプリントは、旅の途中の

配分を分かつ優美で懐古的な結界のようで美しかった。

 

 

その後の野口は写真家として水木しげる氏はじめ錚々たる紳士・淑女たちのポー

トレイト、2011年には禅フォトギャラリーにてライフワークのひとつである、

各地のお地蔵さんをとらえた写真集「地蔵の見た夢」を発表するなど、精力的に

独自の写真芸術を探求し続けている。

 

 

そして初個展から13年目の現在、野口さとこの写真芸術の世界はチャーリーと

いう一人の家族のような男の出現によってかき乱されている。

 

 

3.11以降はじめてチャーリーを紹介された。

チャーリーをモデルにした写真を見せられた時、とにかくチャーリーの生い立ち

が気になってよく彼女に尋ねたものだ。

 

ねえねえ、さとこちゃん。チャーリーってルーツはイギリスなの?その懸賞を出

した酒造は今もあるの?

さとこちゃん!ところで中学の時はチャーリーで腹話術やってみたの?

腹話術って降霊術だったらしいね!など。

 

 

どうでもいい話のようで興味があるから仕方がない話題をチャーリーをいじりな

がら投げかけてみたものだった。

そんなチャーリーが、なんだか会うごとにおしゃれな紳士へと変貌していくでは

ないか。
 

いや変容していくといったほうが正しいかもしれない。

祖母であるとしこさんの、お手製のダンディなワードローブを駆使する洒落男。

 

意外と照れ屋なチャーリーには少し気遣いが必要だ。

うっかり無礼をするとこちらの方の神経を問われるような顔をする。

モデル?としてどのような場所、人々とであっても実に凛とたたずむ彼は、
何か言いたげにいつもため息をついているように私にはみえる。

 

 

チャーリーという男が媒介するこの世の縁(えにし)。

今こそ野口さとこの写真の中にいる真実のチャーリーに会いたい。

 

 

チャーリーとはいったい何者なのか。

 

 

近づこうとすればするほど彼の存在は遠く儚い。

また彼から離れようとすればするほど手を引かれ人類の深みへと招かれるようだ。

ならば導かれるに任せよう。

 

 

チャーリーの手の鳴る方へ。

 

 

 

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京都・北白川のロンドクレアント(故・梅棹忠夫邸)にて展開される、初のチャ

ーリーの晴れ舞台。
 

http://rondokreanto.com/category/concept/

 

もちろんチャーリー本人も毎日在廊しています。

 

 

媒介者の極みとして存在するチャーリーのあらゆるシーンを野口さとこが演出する、チャーリーの魂の物語!

 

 

ぜひあなたもチャーリーに出会いに来てください。

 

 

 

 

                   スターポエッツギャラリー 今村仁美

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